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文明堂の歴史|History of Bunmeido
文明堂とカステラ
文明堂とカステラはいつの時代も一緒に歩いてきました。その歴史は永く、明治33年に文明堂創始者である中川安五郎が長崎市丸山において、カステラを中心とした菓子製造販売業を行ったことから始りました。
カステラと日本の関係は更に昔にさかのぼり、日本を代表とする戦国武将、織田信長が南蛮渡来の文化や珍しい品物とカステラを含めた食品を大いに歓迎したことが始まりと伝えられています。

歴史
- カステラの原型は「ビスコチョ」
- ビスコチョは修道院や尼僧院でよく作られ、結婚のお祝いや喜び事には欠かせないお菓子だったそうです。カステラという名前は。スペインのカステリア地方のお菓子という意味からそう呼ばれる様になりました。
- 戦国時代の終わり、カステラ伝来
- カステラは南蛮船によって鉄砲やキリスト教と共に伝えられました。南蛮渡来の文化や珍しい品物と食品は織田信長に大いに歓迎され、テンプラ、カボチャ、タバコなどの南蛮語も今ではすっかり日本語として定着しています。
- 秀吉、カステラを食べる
- 信長から秀吉の時代になって、長崎の商人・村山等安が日本で初めて南蛮菓子のカステラを作り、秀吉に献上したそうです。秀吉はそのカステラを大変気に入り、等安は後に長崎の代官になっています。
- 出島と江戸時代のカステラ
- カステラがいまこのような形と味になりつつあったのは、江戸時代のこと。そのほとんどが長崎の出島で作られていましたが、一部は江戸でも作られていたようです。幕府が京都の勅使をカステラで接待した記録も残されています。
- 明治33年、文明堂創業
- 明治33年、初代・中川安五郎が長崎丸山に「文明堂」を創業。文明開化の明治から大正の時代、西条八十、北原白秋、芥川龍之介、幸田露伴など、文明堂のカステラは多くの作家に愛され、かれらの作品にも登場しています。
- 文明堂、東京進出
- 大正4年、東京上野の博覧会で出張製造・販売。大正11年、東京進出の第一歩となる上野黒門町に文明堂を開店。そして大正14年には、文明堂のカステラは宮内省御用達の栄誉を賜りました。
- 文明堂神戸店誕生
- 昭和5年に元町に設立され、第2次大戦で全店焼失しましたが、昭和28年に現在の地に再開店しました。
現在では百貨店、直営店20店、その他量販店銘店コーナーにおいて約50店にて展開しています。